モノ好きの断捨離、これは負けられない闘いだ。 | unautre〈ユノートル〉
blog 2018年6月13日

モノ好きの断捨離、これは負けられない闘いだ。

自宅がものすごいことになっている。しかも、昨日今日の話ではないのです。ものすごいことになって早8ヶ月。もはや、ものすごいのプロです。

それまでは頻繁に友達を家に呼んだり泊まりに来たりしていたのに、ある日を境にそれが一切なくなった。おかげで友人たちの間にはうっすら不信感が…このままでは友達いなくなっちゃうのでは。

 

(ちがう、ちがうんだよ。
呼びたいけど呼べないんだよ。だって、ものすごいんだよ。。)

 

なにがものすごいって、モノが多いのです。モノすごい(あっ、決してダジャレを狙ったわけではない…)。もともとモノ好き(プチ収集癖あり)、モノもちがいい、捨てられないの三拍子。ああ、モノに囲まれた人生だった…。と遠い目をしている場合ではないのです。わたしには近々引っ越しという一大ミッションがある。引っ越し業者に依頼できるレベルまで物を減らすのだ。

もともとモノが多かった自宅に、勤めていた会社から私物を一斉に運び込んだため、一気に我が家は倉庫と化した。私物を置きまくっていたので、こんなにあったの!?と途方に暮れた。いっそ全部捨ててくればよかったのだけど、それができるなら、そもそもこんな人生じゃないのである。

わたしは無類の洋服好き&雑誌好き。これまでも当然何度も断捨離やらときめきなんたらやらで物量を減らそうとチャレンジした歴史がありましたが、しかし敢え無くリバウンド。

劣化したら捨てられるのに、物量が多い=ローテーションのスピードが遅い=なかなか劣化しない。洋服好きなだけでなく布好きなので「素材感…」とか思うとますます捨てられない。

 

そんなわたしが、今回はやったぜ。やってやりました。
6/14は新月でですね、その前の月が欠けゆく時期はデトックスのタイミングなんだそうです。その影響か?今回はなかなか思い切れたなあと思う。決して怪しい話ではない。

 

《今回処分したもの》
・Tシャツ、カットソー類 約100枚
・雑誌、書籍類 約100冊
・ZOZO買取に大ダンボール3箱

 

これは、なかなかの決断です。英断です。
とはいえ、どんだけあるんだよ!と我ながらドン引き。わたし収納上手すぎかよ。引き出しから延々と溢れてくる…この奥は4次元なのかな?

それでも『手をつけやすいジャンル』から始めたのがキーですね。

Tシャツやカットソーは衣類の中でも”くたびれ感”が見えやすいので諦めがつく。雑誌は、言うても鮮度が命なので、今の情報スピードを思えば諦めがつく。
ただCasa BRUTUSや & Premium やエイ出版などライフスタイル系の雑誌が多かったので、ちまちまメルカリに出すとかブックオフ呼ぶとか、ジャンルの統一感があるのでまとめたらほしい人もいたかもしれないけど、まあキリがない。

他の洋服も、1軍以外のブランドもの、ヒールが高すぎて履いて歩けないパンプス(いわゆる鑑賞用ってやつな…)、買ったの忘れてたアウター(!!)など多少値がつきそうなものはZOZOの買取に。値段は期待はしないでおく。まあ、メルカリに出せばそこそこの価格になりそうだけど、今すぐ片付けたいのだ。鉄は熱いうちに打つべし、打つべし!

 

などとやっているとさすがに疲れるので、合間にウォーキングを兼ねてスタバへ。

これこれ、これだよ。このスッキリ感。ノートを持って行ったのだけど、あれこれ考えごとが進む進む。スッキリした空間がもたらす効果をしかと胸に刻んでおくように…我が家も目指すはこの統一感および開放感だぞ。

パケ買いしたデザートの掛け紙。なんで買ったか、配色が好みなんだなー。なんてことにも気づくから、洗練されたスッキリした空間は感性もヴィヴィッドになるのかも、なんて発見もある。

ちぎってあるのは、持って帰ろうと思ってやっぱりやめたから。笑 そりゃこのペースでいろんなものを持って帰ったら溜まる一方である。自宅への持ち込み禁止!

 

2日目のおやつはいただきものの治一郎。お茶と糖分補給しては、黙々と続けます。

 

好きで持っていたものなので、それを手離すというのはそれなりに軽く喪失感もありつつ。しかし開いた空間を見ると喪失感は爽快感に変わる

ああ、足の踏み場がある…モノを跨がずまっすぐ歩ける…(感動)
…そう。まだまだこんな調子です。ローマは一日にして成らずなのだ。

 

と、ここまで振り返って、渦中の写真を一切撮っていませんでした。まあ見せられたもんじゃないのでそれでいい。。

しかしビジュアルが好みな表紙とか見ちゃうと捨てられないモード発動してしまう…という、トラップだらけのモノ好きの断捨離。先が思いやられます。